【毎週名馬】2003年フラワーカップ・マイネヌーヴェル

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一世一代の末脚!フラワーCにおいて信じられないほどの豪脚を見せたマイネヌーヴェルは、果たしてただの一発屋だったのか?
一世一代の末脚!フラワーCにおいて信じられないほどの豪脚を見せたマイネヌーヴェルは、果たしてただの一発屋だったのか?
(月刊「優駿」2003年5月号75Pより引用)

 過去に「伝説のレース」と称されたレースはあまたあれど、マティリアルが制したスプリングSほど、競走馬の運命に思いを巡らすのに適した一戦も無いだろう。1987年3月末の中山競馬場。直線で必死に粘り込みを図るウインストーンと、それを外からねじ伏せんとするバナレット。最内ではモガミヤシマも抵抗する。 ゴールドシチーとメリーナイスの両G1馬は早々と圏外へ飛び、 前述の3頭で勝負は決まったか……と思われた刹那、様相は一変。外から現れた人気のマティリアルが並ぶ間も無く3頭を交わし切り、先頭でゴールイン。道中最後方からの競馬で好メンバーを撫で斬りにしたマティリアルの岡部幸雄騎手が「ミスターシービーしちゃった!」と興奮気味にコメントしたことも相まって、マティリアルはダービー候補の筆頭に位置付けられ、このスプリングSは早々と“伝説化”された。

 その後のマティリアルの運命はよく知られている通り。本番の皐月賞は3着。続く日本ダービー大敗後は体質や精神面の弱さに苦しめられ、長らく不振にあえいだ。スプリングSで打ち立てた同馬の“伝説”は、自分自身を後方待機の策に縛り付ける禍根を残し、復活の日は遠く2年後の1989年9月のG3・京王杯オータムHまでズレ込んだ。久々に鞍上に迎えた岡部騎手を背に、従来の末脚勝負を捨てた早め早めの横綱相撲で約2年半ぶりの勝利を得たマティリアルだったが、ゴール直後に骨折。その数日後に身罷った。何かと不幸に見舞われた1987年クラシック世代の中でも、最も悲劇的な生涯を送ったのがマティリアル……現在ではそう認識されている。

 伝説のスプリングSから約16年が経過した2003年3月22日。この日の中山メインのG3・フラワーCにおいてマイネヌーヴェルという黒鹿毛の3歳牝馬が、まるであのマティリアルを彷彿とさせるような大外からの直線一気の競馬で、見事に重賞制覇を成し遂げてみせた。「豪脚炸裂」とか「末脚一閃」といった大袈裟な表現がピッタリとハマるそのレースぶりは、これで通算4戦3勝としたマイネヌーヴェルの後の盛運を十分に予感させるものだった。

 マイネヌーヴェルは2000年3月17日生まれ。父は当時の一流種牡馬ブライアンズタイム。母のマイネプリテンダーは現役時ニュージーランド産のマル外として走り、4戦1勝2着3回の戦績を残したが、脚部不安のため惜しまれつつターフを去った。その父ザビールは当地の大種牡馬であり、母方にはミルリーフの名も見える。静内・ビッグレッドファームにて母の初仔として誕生し、「スケールの大きさを感じる」※1と「総帥」こと岡田繁幸社長に期待を懸けられたマイネヌーヴェルは、ラフィアン・ターフマンクラブの募集馬になると早々と満口になった。

 長じて、ラフィアンゆかりの美浦・稲葉隆一厩舎に所属したマイネヌーヴェル。厩舎関係者の評判も「母もうちの厩舎にいた馬だけど、本当にいいところを受け継いでいるという感じ」※2と上々であった。特に身のこなしの柔らかさと、血統由来の大物感には誇るべきものがあった。やがて2002年11月の中山開催(例年は東京開催だが、当時東京競馬場が改修工事に入っていたため)で迎えたデビュー戦は3着に屈したが、千八から二千に距離延長した折り返しの新馬戦を先行して押し切り、難なく初勝利。12月にはオープン特別(当時)のホープフルSで勇躍牡馬に挑み、横山典弘騎手の手綱でスズジャパンやブラックカフェなどの評判馬を蹴散らし1着。一躍クラシック候補として名乗りを上げるに至った。口向きが悪いという弱点は抱えていたものの、レースを重ねるごとにそれも良化。翌2003年牝馬クラシックでの飛躍……つまりマイネル軍団初のクラシック制覇が彼女には望まれた。

 陣営には早くから「桜花賞よりオークス」という意識があったようで、春の始動戦には3月の中山開催、芝1800mの条件で施行されるG3・フラワーCが選択された。当初は名牝エアグルーヴの初仔という超良血馬アドマイヤグルーヴも、このフラワーCからの始動を匂わせていたが、折りからの連続開催で荒れ放題になった中山の芝を嫌い回避(結局同日の阪神・若葉Sに出走)。その結果、豪快な末脚でデビュー2連勝のサンデーサイレンス産駒セイレーンズソングが目立つ程度という、G3としてはどうにも貧弱なメンバー構成になってしまった。当のマイネヌーヴェルは、単勝オッズ1.8倍の圧倒的人気馬セイレーンズソングに次ぐ2番手の評価を得た。

 16頭立てのレースは2頭のアンバーシャダイ産駒、シルクカンパーナとトーセンリリーの先導で幕を開けた。最内枠を引いたセイレーンズソングは思いのほか行き脚がつき、緩く流れた2ハロン目を利してコーナーワークで3番手を確保した。一方、スタートで前に行く素振りを見せるも他馬に挟まれたマイネヌーヴェルは早々と進出を諦め、鞍上の横山典弘騎手も腹を括った様子で後方待機に懸ける。それまで出が悪く末脚勝負に徹していた本命馬が先団に付け、好位抜け出しの競馬で結果を残していた対抗馬が後ろから3番目の位置取りを選ぶという、戦前の予想からすると想定外の展開であった。

 道中、レースはよどみなく流れ、ハナを切ったシルクカンパーナが3コーナーを前にバテて後退。片や8戦のキャリアを誇るトーセンリリーは余裕の手応えで先頭を奪い、南関東の名手・張田京が駆る公営船橋所属のパッションキャリーがそれに競り掛ける。セイレーンズソングは馬群を割って抜け出しを図り、4コーナーまで動かず絶体絶命の立場に追い込まれたマイネヌーヴェルは、末脚に全てを懸けて直線入口で大外へと持ち出した。

 メンバー中唯一の重賞ウイナー(門別・エーデルワイス賞勝ち)ながら7番人気に甘んじたトーセンリリーが、「アタシをなめんなよ!」とばかりに内ラチ沿いを通って頑強に抵抗する。残り200m、150m、そして100mと徐々にゴール板は近づくが、同馬のセーフティリードがすでに完成してしまっていたように見えた。人気のセイレーンズソングやパッションキャリーが外からジリジリと迫るも、この脚色ではトーセンリリーを捕らえ切れない。レースが伏兵の勝利でもう終わらんとする、残り50mという辺り。大外から物凄い勢いでぶっ飛んできた1頭の馬がいた。マイネヌーヴェルだ。末脚一閃、豪脚炸裂!結局、粘り込んだトーセンリリーに1.1/4馬身の差をつけ、マイネヌーヴェルは真っ先にゴール板を駆け抜けた。

 この一戦のインパクトは大きかった。多少距離不足の感があった桜花賞において、マイネヌーヴェルは4番人気の10着に敗れる(横山騎手は「この速い流れではちょっと苦しかった」※3とレース後コメント)のだが、敗戦からまもなくして、大目標であるオークスと日本ダービーの連闘が陣営から発表されるほどであった。大言壮語で知られる岡田総帥にはありがちなエピソードだが、それだけ彼女に対する期待感は大きかったということだろう。

 ところが、オークスでも末脚不発で11着に敗れると、マイネヌーヴェルの生涯は非凡から平凡なものへと変わっていく。この大敗によりG1連闘プランが白紙となり、続いて照準を定めた6月半ばの川崎・関東オークス(交流G3)を回避した後、彼女は放牧に出された。しかし休養中に軽い屈腱炎を発症してしまい、秋華賞を断念。スティルインラブが牝馬三冠を達成するのを、彼女は牧場で指を咥えて見るほかなかった。休養期間は丸11ヶ月に及び、翌年のG3・福島牝馬Sが復帰戦となった。復帰戦でフラワーCを想起させるような強烈な末脚を見せ、ほぼ直線だけの競馬で大外から2着に突っ込んだマイネヌーヴェルだったが、以降は中山でしか好走しない“季節労働者”と化した。2005年正月の中山金杯でも2着に健闘し、牡馬相手でも通用するレベルであることを示すも、以降は8戦して2回の5着が最高着順と精彩を欠くことに。結局同年12月のターコイズS(11着)を最後に引退・繁殖入りした。当初の期待からすれば、尻すぼみと言わざるを得ない現役生活だった。

 同じ中山千八で伝説を築いたマティリアルとは違い、発馬難もあって末脚勝負に固執し続けたマイネヌーヴェルは二度と蘇ることは無く、後に伝説扱いされることも無かった。戦績をよくよく精査してみれば、中山芝以外ではほぼ走らず、あのフラワーCにしても荒れ馬場とは言え勝ちタイムは1分49秒5だったし、レースの上がり3ハロンは37秒3(マイネヌーヴェルの上がりは35秒6)。それに加えて、メンバー中後の中央重賞勝ち馬は、7歳で福島牝馬Sを勝ったスプリングドリュー(フラワーCは15番人気7着)のみである。要するに、弱いメンツと好走条件が上手くマッチして、件の物凄い末脚が炸裂するに至った、と見るべきであろう。

 だが、マイネヌーヴェルは引退後繁殖牝馬として産駒を残した。仔出しはかなり良く、重賞を勝つような大物こそいないが、中央競馬の勝ち馬はこれまで6頭いる。そして孫世代からは重賞入着級の馬も出ている。また、自身の弟たちはそれ以上の活躍を見せており、弥生賞馬マイネルチャールズや障害でチャンピオン級の活躍を見せたマイネルネオス(中山グランドJ)、ダート中距離の安定勢力だったマイネルアワグラス(シリウスS)と、デビューにこぎ着けた馬は全て重賞を勝っている(そして揃いも揃って中山に強い)。競走馬が生き続けられる条件は、その存在を人々に忘れられないこと。同期のスティルインラブが早世しながらも牝馬三冠馬として記録上に名を残し、マティリアルが死んで伝説となって人口に膾炙したのと同じように、マイネヌーヴェルは子孫を残すことで競馬ファンの胸を今もなお熱く揺さぶり続けている。

マイネヌーヴェル -MEINE NOUVELLE-
牝 黒鹿毛 2000年生
父ブライアンズタイム 母マイネプリテンダー 母父Zabeel
競走成績:中央22戦3勝
主な勝ち鞍:フラワーC

引用文献
※1「マイネル軍団の謎」岡田繁幸ほか
※2「優駿」2003年3月号
※3「Gallop臨時増刊・JRA重賞年鑑2003」

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