スターホースになり損ねた名伯楽の秘蔵っ子
偉大な馬が1頭ドドンと出てきたとして、それに似た背景を持つ後発の馬を“第二の○○”とか“○○の再来”などと捉えて期待を懸けてしまう。言わば「二匹目のどじょう」である。これは馬券予想しかり、推し馬しかり。ありがちな話だが、競馬ファンの性なのかもしれない。世の競馬ファンとは限られた情報からストーリーを紡ぎたがるし、常々都合の良い夢を見る。
エンドスウィープ産駒のアグネスウイングという米国産馬が今から20年ほど前にいた。彼の所属厩舎は栗東の白井寿昭厩舎(ただし、現役時代末期に宮本博厩舎へ転厩)である。現役時代は主にダート短距離路線で活躍した馬だが、白井調教師自身は「少しアグネスデジタルを思い出すようなところがあるんですよ」と同馬主・同厩舎の大先輩に準えていたようである。ミスタープロスペクター系のマル外、栗毛の馬体、アグネス冠、そして“白井最強”。アグネスデジタルにしても元々はダート短距離から勃興した馬。市井の競馬ファンと同じように、この名伯楽も“第二のアグネスデジタル”というストーリーを夢想していたらしい。
幼駒時代に北米の牧場で白井師が発掘し、2歳になると比較的温暖なフロリダで育成されたアグネスウイングは、2002年8月の小倉開催でデビュー。当初は芝を2戦したが勝ち切れず、3戦目の阪神ダート1200mの未勝利戦で2着に3馬身半差つけてまず片目が開いた。このレースの勝ち時計は1分12秒7。アグネスデジタルがデビュー2戦目に同じ条件で勝ち上がった際のタイムが1分13秒0だから、2歳時の完成度という尺度で比べると後輩のアグネスウイングの方が上だったのかもしれない。しかし、初めて東上したプラタナス賞で4着に敗れた後、脚部不安のため長期休養に入ってしまった。若い頃の彼は使い減りしやすく、メンタル面にも課題があった。
父親のエンドスウィープは現役時はG3級に終わったが、新種牡馬時代に産駒の勝ち上がり数の北米新記録を樹立してにわかに注目を浴びた。日本へ輸入された産駒たちは総じて優れたスピードを誇り、早熟性に富んでいた。こう書くといかにも前時代的な米国の種牡馬を想起させる。だが同馬の本当に凄い点は、本邦輸入後に芝の一流馬を続出させて従来のイメージを覆したところにある。2002年の夏に事故で早世してしまうのだが、本邦で遺したわずか3世代の産駒の中からスイープトウショウ、ラインクラフト、そしてアドマイヤムーンというスターホースを続けざまに生み出したのだ。エルコンドルパサーやアグネスデジタルなどと並び、まさしくミスタープロスペクター系のパブリックイメージを一変させた種牡馬と言えるだろう。
そんなエンドスウィープの初年度産駒にサウスヴィグラスがいた。このサウスヴィグラスはアグネスウイングがデビューした2002年に高知・黒船賞から連勝を開始し、翌2003年の北海道スプリントCまで重賞6連勝を飾った。この時同馬はすでに7歳を迎えていたのだが、秋のJBCスプリントで新星マイネルセレクトや前年覇者スターリングローズを退けて引退の花道を飾った。その“老雄”としての有りようはエンドスウィープ産駒における「早熟」というイメージを払拭するには十分なものだった。
話をアグネスウイング自身に戻そう。脚部不安による休養は思いの外長引き、復帰戦は2004年3月にずれ込んだ。ところがこのレースを9馬身差で圧勝して4歳春の遅まきながら注目を集める。この後、1000万下条件(現在の2勝クラスに当たる)を3走するも結果が出なかったが、降級後に7月の500万下条件戦を勝ち上がり、そこから1000万下特別を2連勝。特に9月の夙川特別では後続を7馬身ぶっちぎった。これでダートの千二を3連勝。通算では千二以下の距離ばかりで11戦5勝とした。
厩舎の先輩アグネスデジタルをというよりも、同父の先達サウスヴィグラスを彷彿とさせる3連勝。馬体重もデビュー時の454kgから26kg増えて480kgと、ダートのスプリンターらしい好馬体に成長していた。エンドスウィープ産駒の当時の風評として、「古馬になって軌道に乗った馬はクラスの壁がない」というものがあったのだが、かくしてその風評通りにアグネスウイングは10月初めのG3・シリウスS(当時は阪神ダート1400mの条件で施行)を格上挑戦で勝ってしまうのだ。
ダートの重賞らしく、すでに中央へと移籍していた小牧太騎手と赤木高太郎騎手に加えて、佐賀の鮫島克也騎手、兵庫の岩田康誠騎手、そして金沢から参戦した蔵重浩一郎騎手と、新旧の地方競馬をルーツとするジョッキーが大挙参戦したこの年のシリウスS。当のアグネスウイングは54kgとハンデに恵まれたこともあり2番人気であった。彼の初重賞勝利の前に立ちはだかったのは千四の初距離と、実績馬のエコロプレイスとインタータイヨウ。2頭は揃って交流重賞ウイナーであり、前走オープン特別を制しており力落ちもなかった。だが、今回この2頭はそれぞれ57kgと57.5kgを背負うわけで、ハンデ差が勝敗のカギと戦前目された。
前述の鮫島騎手が跨る人気のエコロプレイスが8枠13番からハナ。2番手には前年の2着馬ツルマルファイターがつけ、初コンビの幸英明騎手が駆るアグネスウイングは道中好位でそれらを眺めた。インタータイヨウはその後ろ。ワンターンの阪神コースで馬群はコーナーを回り、直線でもエコロプレイスの勢いは衰えない。しかし距離の壁をものともせずアグネスウイングが徐々に差を詰め、ゴール前逃げ馬を差し切った。番手から雪崩れ込んだツルマルファイターが3着に入り、インタータイヨウは4着まで。ちなみに幸騎手はこの勝利を起点として、シリウスSを通算5勝している。
これで4連勝、そして初重賞制覇を成し遂げたアグネスウイングは、11月の大井・JBCスプリントを目標に睨んだ。阪神競馬場改修前の千四時代のシリウスSは、JBCスプリントを大目標とする上がり馬の試金石といった役割があった。実際、2002年のスターリングローズ、2003年のマイネルセレクトと、2年連続でここを勝って3連勝として、なお且つ同年のJBCスプリントにて連対していたのだ。ダートスプリント路線の飛車角たるサウスヴィグラスはすでに競馬場を去り、スターリングローズは外傷を負って休養に入っていた(後に引退)し、交流重賞でおなじみのノボトゥルー&ノボジャックのコンビも衰え著しい。復調した実績馬ニホンピロサートも10月の南部杯6着後休養に入り、相手になりそうなのは前年2着馬マイネルセレクトに古豪ディバインシルバーぐらいと、やや手薄になったのはアグネスウイングにとって幸運だった。芝路線から高松宮記念勝ちのサニングデールの参戦もあったが、地力の高さは認めても肝心のダート適性には疑問符が付いた。
ところがマイネルセレクトの壁は思ったよりも厚かった。「とにかく物見がひどかったですからね(中舘英二騎手:談)」と初のナイター競馬に戸惑い、案の定スタートで後手を踏む。素早く器用に立ち回るのが身上の彼に差し競馬は辛かったし、安定した取り口を武器とするマイネルセレクトより後手に回るのはもう詰んだようなものだ。結果、サニングデールやディバインシルバーとの2着争いは辛くも制したが、その2馬身半前にはマイネルセレクトがいた。完敗であった。
この路線を牛耳っていたマイネルセレクトには敗れたとは言え、彼はまだ4歳。統一G1を2着として未来は明るかったはずだった。しかし、暮れの兵庫ゴールドTを賞金不足のため除外されたのがケチのつけ初めとなり、明け5歳のガーネットS以降は7戦全敗。しかも掲示板にすら載れなかった。晩年は屈腱炎や脚部不安に苦しみ、せっかく出走に漕ぎついた際も出負けを繰り返した。これではサウスヴィグラスはおろか、大先輩たるアグネスデジタルの背中は遠いものだ。
白井厩舎から宮本厩舎に移籍した後の2007年4月、彼は競走馬登録を抹消された。引退後は各地の乗馬クラブを転々としたようだが、現在の消息は残念ながら不明である。ダート短距離馬の需要が高まっている令和の世ならば種牡馬入りのクチもあったかもしれないし、晩年負けが込まなければ早世したエンドスウィープの貴重な後継としてスタッドインする可能性もあっただろう。人的背景に恵まれた才気溢れる競走馬でありながら、いささか残念な生涯であった。
アグネスウイング -AGNES WING-
牡 栗毛 2000年生
父エンドスウィープ 母Tuesday Edition 母の父Gold Alert
競走成績:中央19戦6勝 地方1戦0勝
主な勝ち鞍:シリウスS
投稿者プロフィール
- ミドサーの競馬愛好家。2019年、アーケード競馬ゲーム『StarHorse4』の開発に携わり、株券やレース解説のテキスト作成を行ったのが代表的なお仕事。そのほか、競馬予想SNS『ウマニティ』にライターおよび予想家として参画した経験がある。
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