【ホオキパウェーブ列伝】2005年オールカマー

我慢と忍従の末に得た栄誉は儚かった

ドの付くスローペースの、極限の我慢比べを制したホオキパウェーブと後藤浩輝騎手(2005年オールカマー)
引用元:『臨時増刊号Gallop2005』

粒揃いだった2004年クラシック世代に、ホオキパウェーブはいた。名伯楽と誉れ高い二ノ宮敬宇調教師が彼の管理を手掛けた。妙な語感を持った「ホオキパ」とは、オーナーの金子真人氏が愛するハワイ・マウイ島のビーチの名称だという。彼の父は凱旋門賞馬カーネギー。カーネギーは母のデトロワと母仔で凱旋門賞制覇を果たしている欧州の名血で、種牡馬として鳴り物入りで本邦に輸入されたが、結局失敗と言わざるを得ない成績に終わった。産駒はピサノガルボのような早熟な短距離馬か、大器と当初目された青葉賞勝ちのカーネギーダイアンのような中途半端な中長距離馬にもっぱら分かれた。筆者の印象としては、重厚な血統に似合わず平坦向きの非力な馬をよく出したといった感じ。いずれにせよ、周囲の期待に応えられなかったカーネギーは2002年再輸出されて日本を去った。だが輸出先のオーストラリアでは人気を博し、G1馬を多数送り出したという。馬も人も、求められている場所に身を置くのが一番いい。

とにかく、ホオキパウェーブがデビューした2003年には父親のカーネギーはすでに見限られてしまっていたということだ。言わば“型落ちの血統”から誕生した彼だったが、9月の新馬戦を4馬身差でまず1勝。2・3歳時はソエが固まらず強い調教が積めなかったのだが、翌2004年2月にはゆりかもめ賞にて評判馬ピサノクウカイを降して2勝目。この頃になると、カーネギー産駒としては前述のカーネギーダイアン以来の逸材と期待は高まった。ちなみにホオキパウェーブとカーネギーダイアンはともに母の父がミスタープロスペクターで、ほぼ同配合である。

3歳春のクラシック戦線は引退間際の岡部幸雄騎手と歩んだ。ハイアーゲームが2分24秒1の好時計で勝利を収めた青葉賞では内ラチ沿いを追い込んで2着。だが続く日本ダービーでは記録的な高速決着の前に衆寡敵せず9着に終わった。勝ったのはホオキパウェーブと同じく金子真人氏所有のキングカメハメハ。2着はSS産駒の良血馬ハーツクライであった。この時6着に敗れた皐月賞馬ダイワメジャーを含めて、種牡馬として大成功を収めた馬たちが名を連ねる強豪世代の中で、いかにもステイヤー然としたホオキパウェーブはなかなか波に乗れなかった。

秋はセントライト記念から始動。道営の星コスモバルクが並々ならぬ期待を背負って挑んだこのレースにおいて、ホオキパウェーブは同馬とクビ差の2着に健闘した。コスモバルクがマークした2分10秒1というタイムは当時の日本レコードだった。次いで大一番の菊花賞。鞍上は横山典弘騎手にスイッチ。ステイヤーとしての素質を見込まれたホオキパウェーブは単勝4番人気の支持を受け、道中後方待機から味なコース取りで最後の直線インを突き、勝ったデルタブルースの2着に頑張った。これにて素質馬がとうとう開眼したかと思われたが、次走のジャパンCではシンガリ負け。以後は脚部不安に見舞われた。やはりイマイチ波に乗れない。

“金子真人勢の真打”ディープインパクトが「飛ぶ」と称された圧巻の競馬で話題を呼んでいた2005年、4歳を迎えたホオキパウェーブは夏の札幌記念(9着)で復帰した。相変わらず脚元には不安が付きまとい、追い切りで強く追えないこともあって調子は上がらなかった。復帰2走目にはG2・オールカマーが選ばれた。鞍上に迎え入れたのは後藤浩輝騎手である。

2015年に自死を遂げた後藤騎手を近年のジョッキーに例えると、勝つために工夫を凝らすという意味で元船橋の中野省吾騎手が近い気がする。家柄的に元々競馬界をルーツとしない騎手だけあって、テン乗りに強いイメージがあった。例えば2000年のダイヤモンドSにて大マクりを決めた7歳ユーセイトップラン、あるいは同年の中山記念で同じく7歳馬のダイワテキサスで復活勝利を収めたり。2002年のオールカマーにおいて5頭横一線の激戦をロサードで制した際も、後藤騎手はテン乗りだった。ホオキパウェーブが後藤騎手を背に臨んだ2005年のオールカマー、1番人気はそのロサードの全弟に当たるヴィータローザであった。以下、前走新潟記念2着の上がり馬グラスボンバー、3年前の有馬記念3着馬で念願の重賞制覇を目指すコイントスが続き、4番人気のホオキパウェーブを含めて上位人気は割れた。重賞をこれからバリバリ勝つという馬が見受けられず、いかにも敗者復活戦色の濃いG2競走であった。

曇天模様の中山競馬場。ゲートが開くと逃げ候補のコイントスが出負けして、譲り合いのようなグダグダしたハナ争いが展開された。その結果が前半1000mが1分4秒9と、時計の掛かる稍重馬場にしてもまるでマラソンレースのような超スローペースだ。我慢と持久力が要求される、各馬には逆に厳しい流れ。しかしホオキパウェーブにとってこれが奏功した。いつもは長距離戦でも後方待機の彼が、スローの流れを利して外目から先行策を取ったのである。これぞ後藤騎手の面目躍如といったところ。馬群が密集したまま直線に入ると外からホオキパウェーブがいち早く伸び、内のグラスボンバー以下を見事完封してみせた。

鞍上お得意のテン乗り勝利。「今回の勝利は精神力と地力の勝利ですね」とは後藤騎手の弁。極限の我慢比べでステイヤーとしての素養が活きる形となったわけだ。その数分後にはディープインパクトがいつもの悠々とした競馬で神戸新聞杯を制覇していた。天才は諦めた。でも僕は図に乗ることなく、着実に歩みを進めよう。重賞初勝利をマークしたホオキパウェーブは秋のG1戦線での健闘を誓った。

件のオールカマー以降のホオキパウェーブは適性ある中長距離戦を中心に使われたが、結果は残せずに終わった。2006年7月の七夕賞(5着)の後は脚部不安のため再び戦列を離れ、約1年4ヶ月ぶりの復帰戦となった翌2007年11月のカシオペアSで14着に敗れたのが最後のレースになった。そして12月には彼の引退が報じられた。引退後は苫小牧のノーザンホースパークの乗馬に転身したが、よく知られているだろうが同場は競走馬の終の棲家にはなり得ない。数年後には他の乗馬クラブへと移動したようで、それ以降の消息は不明である。

ホオキパウェーブ -HOOKIPA WAVE-
牡 黒鹿毛 2001年生
父カーネギー 母プラチナウェーブ 母の父Mr.Prospector
競走成績:中央18戦3勝
主な勝ち鞍:オールカマー

投稿者プロフィール

響斗七
響斗七
ミドサーの競馬愛好家。2019年、アーケード競馬ゲーム『StarHorse4』の開発に携わり、株券やレース解説のテキスト作成を行ったのが代表的なお仕事。そのほか、競馬予想SNS『ウマニティ』にライターおよび予想家として参画した経験がある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました